---LOVER'S QUARREL---

素良くんと喧嘩してしまった。

事の始まりは、些細なことだった。
彼の言葉に居ても立っても居られずに怒鳴ってしまった。
大バカ者だ。気まずくなるのは解っていたのに。
いつも笑顔で支えてくれていた彼がいない今日。
繋いでいた手からの温もりも、今は空気の冷たさしか感じられなかった。
一歩一歩と歩を進める。
そう、遊勝塾までへの道を。
でも……

(行くの、やめちゃおうかな……)

そうする事は簡単だけど、他のみんなも心配するし家にも連絡が入って、色んな事で収拾が付かなくなってしまう。
何故か家を早く出てきてしまって、ゆっくり歩いてもまだ間に合うのだけど。

涙が出てくる。
素良くんを許せなかった自分。きっと私の為に言ってくれた言葉だったんだろうな。
でも今更後悔しても、もう遅い。
腕で涙を拭うと、さらに溢れ出る。
足を止めてふと後ろを振り返ってみた。なんとなく視線を感じた。
もしかして素良くんがいるのかと思ったが、誰もいない。

彼に……謝りたい。

そう頭の中で念じながら前に向き直る。
すると今まで誰もいなかったそこに、良く知った人物がいた。
……」
名前を呼ぶ声――それは黒咲さんのものだった。
「どうかしたのか?」
私に問う彼。今、一番逢ってはいけないと思っていた彼と出逢ってしまった。
「……あの…」
言葉が出てこない私に、黒咲さんは黙ったままじっと私の顔を見つめる。
その彼の瞳を見ていると、罪悪感にかられて目を背けてしまった。
「おい」
片手で私の顎を軽く支えられ、いとも簡単に向き直されてしまった。
しかも、顔が近い。
「なんで俺を見て顔を背けるんだ」
「…そ、それは……」
息が掛かる顔前まで迫られ、身体が硬直する。

黒咲さんは、とても気の許せる無くてはならない人。
先日出逢ってお話をしている間にすっかり打ち解けていた仲だった。
だけど――
黒咲さんからの刺さる様な視線がとても痛い。
目背けてをギュッと瞑る。
(どうしよう、私黒咲さんに合わせる顔が無いのに……)
心の中で念じつつ、返答は諦めて欲しいと願うのだった。
しかしその時、ふんわりと大きく暖かな感覚に包まれる。
細目を開けて確認すると、それは黒咲さんに抱きしめられている状態であった。
、俺から視線を逸らさないで欲しい。どうして悲しい顔を、しているんだ?」
私の両頬を黒咲さんの両手で挟み込み、真剣な表情をさせて問う。
だけど、言い出せない私に耐えかねたのか一つため息をつく彼。そして優しく告げる。
「紫雲院素良の為、なんだろ? 俺を見られないのは」
何故かその名をフルネールで告げる黒咲さんだったが、理由は当然の様に読み取られていた。
「……うん」
とても伝え辛かったが、解ってしまっている以上頷くしか無かった。
「実はさっきから見ていたが、それにしてはずっと泣きそうな顔をしていたのは何故だ?」
黒咲さんからの問い。
ちょっと待ってと突っ込みたくなる部分もあったけど、そんな気力は今は無く。
「……えっと…」
やっぱりこんな事、黒咲さんには伝えられない。
言えずにまごついていると――
「俺の事か?」
キッパリと言い放たれた。

 そうなんです、アナタの事で素良くんと喧嘩してしまいました。
 黒咲さんと逢ってはダメだと言われてしまいました。

とすんなり言えずに心の中で呟きつつ、黒咲さんの瞳をじっと見つめる。
きっと私、憎まれた顔をしてる。
そんなの、嫌なのに……
詫びる気持ちと嫌な気持ちが入り混じり、それを隠す様に目を伏せて俯く。
「俺の事で、揉め事を起こさないでくれ……」
黒咲さんからの言葉。それと同時に――

 ちゅっ

おでこに暖かな感覚。
あわわわわ……これって私、黒咲さんにキスされちゃってる!!?
な……なんでーーー!?


……ザザザザ、ザッ!!!!
その時大きく道の砂を蹴る音をさせる人物が目の前に立ち止まった。
その人は荒い息を立てつつ、怒りを露にした素良くんであった。
「そ、素良くん?」
今まで見たことも無い形相で立ち塞がられて、身体が硬直する。
「ああああああああああっ!!!!ちょっと、この黒咲ーーーーっ!!
ボクのになにしちゃってるんだよ!!!!」
指を刺しつつ、私たちの元に跳びついてきた。
しかし、黒咲さんは屈することなく私を抱き寄せて言い放つ。
「ふん、貴様がを放っておいたのだろう? 言われる筋合いはないな、逆に俺が見守っていたんだから礼を言って貰いたいくらいだ」
黒咲さんの言葉に憤怒した素良くんは、いても立ってもいられず私の手を引っ張る。
「行こ! 、黒咲は危険なんだ」
私の手を掴んで引っ張ろうとする彼。
だけど――
「……ぃやっ!!」
私は黒咲さんの横に付いたまま、素良くんのその手を振り払ってしまった。
「……?」
素良くんからの強引な手引きを制止したことにより、彼は切なげに私を呼ぶ。
「ふふん、俺が止めなくても自身が拒否をしている様だが」
「なんで……」
「ゴメン、素良くん。でもダメ、だよ。 黒咲さんは、私の大事な友達、だから」
……」
隣で何故かよろける黒咲さん。
私はそんな黒咲さんに大丈夫?と問いつつ手を差し伸べて支えてあげる。
そんな私を見て、素良くんは一つため息を付く。
、ボクは黒咲を友達と思って友達として付き合うのは構わない…と思う。だけど……」
素良くんは私を黒咲さんから奪い取る様に引き寄せると、強く強く抱きしめる。
「ボクは不安なんだ。が黒咲や誰かに取られるんじゃないかって。昨日はゴメン、逢うななんてもう言わないから」
少しずつ声を震わせながら、私に告げる彼。
「素良くん……」
そして少し離れると顔から数センチの距離で目が合った。
彼の目には涙が溢れていた。
「ボクを……ボクを嫌いに、ならないでよ……
いつもの彼とは違い、覇気が無く弱々しい声色をさせる。
そんな素良くんの両頬をそっと自分の両手で包み、彼の唇にそっと口付けをする。
「……あ…」
「その、私、素良くんの事、嫌いになんてならないよ? 本当に大好きだから……大丈夫だから」
そしてもう一度素良くんにキス。
今度は長めに、確かめ合う様に、腕を彼の背中に廻して身体を密着させて体温もしっかり感じ合える様に。

ゆっくり離れると、素良くんと目が合う。
目は真っ赤だけど、彼はよく似合ういつもの笑顔を見せた。
「ハハ…ボク、何でを信じれなかったんだろ……はこんなに、ボクの事好きでいてくれているのに……」
私は素良くんのその言葉に首を振りつつ告げる。
「私も素良くんと同じ立場だったら、絶対不安になったりヤキモキしたりしてたよ……私も解ってあげられなくて、ゴメンね」
「ありがとう、。ボク、キミを好きになって本当に良かった」
そして素良くんはそっと私を抱き寄せキスをした。
熱くて深く、そして優しく包んでくれて愛情を心から感じあった。

そして、惜しみつつゆっくり離れると目の前にはくすぐったくなる位やんわりとした暖かな微笑みを見せてくれる素良くん。
私も同じ様な顔をしているのかな。

その時、横から視線を感じた。
ふと横を見ると砂の地面に座って、何やらぶつぶつと呟いている黒咲さんの姿があった。
「あ、えっと、ごめんなさい。黒咲さんの事放っておいて、自分たちの事ばかりで…………」
「ん? あー、いいんだ」
何故かかなりのダメージを負ったかの様に、彼からは疲労感が伺えた。
「まだ居たんだ。ずっと見てたの? 黒咲のエッチー」
黒咲さんに言い放つ素良くん。
「俺の事が元で言い合いを始めるから、立ち去るに立ち去れなかったんだ! 俺の身にも……」
「ゴメンなさい。私の所為で黒咲さんには迷惑掛けちゃったね……」
「……いや」
そう言って彼は立ち上がり、パンパンと服をはたいて砂を落とすと背を向ける。
「俺が原因だとすると、こちらにも非はあった。すまなかったな」
言葉を残して、踵を返す。
見送る背中に哀愁を感じられた。

「あ、ねぇねぇ素良くん?」
「ん?なぁに、?」
耳元でこちょこちょ話す。
「えーっ!!」
「ね?そうしよう」

私と素良くんは黒咲さんを追いかける。
「黒咲さーん、ちょっと待って!」
「? なんだ?」
「ねぇ?もし良かったらだけど――



そして数日後。


「で、君は何で塾に来ることをOKしちゃったの? 実力見ても必要ないじゃん」
彼が来るなり突っ込みを入れる素良くん。
黒咲さんがこの遊勝塾で学ぶ事を決め、通うことになった初日の今日。
「なーに言ってるの、素良。どんなに実力があっても基礎は大事よ。歓迎するわ、黒咲」
「あぁ」
柚子ちゃんからの言葉に返答する彼。
「私はちゃんと毎月の月謝を払ってくれさえすれば良いのよ、素良〜?」
「はは…、ちゃんと払うから」
「ホント、頼むわよ。ちゃんからも素良にどんどん言ってやっていいんだからね?」
「うん解ったわ、柚子ちゃん。厳しく言う様にしていくから任せて!」
「うはー、女の子同士のタッグには敵わないよ」
机に突っ伏してうな垂れる素良くん。
その時、教室の扉が開く音が聞こえた。
「みんな、今日も元気に張り切って頑張りましょー! おっ!?」
遊矢くんだ、黒咲さんを発見して彼の元にやってくる。
「今日からだったんだな、よろしくな黒咲」
遊矢くんから差し出した手を握り返し、返事をしつつコクンと頷く黒咲さん。
そして彼と挨拶交じりの会話をした後、席につく直前私に気が付く。エヘラと優しい笑みを見せてくれる遊矢くん。
ちゃん、今日も頑張ろうな?」
「うん、そうだね」
あれから良い友達として接してくれる遊矢くん。
だけど、
「ふっ、貴様もか。遊矢」
黒咲さんは彼に聞こえる様に呟く。
「な、何がだよ。黒咲…」
と、その時再び教室の扉が音を立てて開く。
「じゃあみんな席につけー! 講義始めるぞー」
修造先生の声にばたばたと足音を立てて、それぞれの席に座る。

 黒咲さんが塾のお仲間として入ったことだし、いつまでも楽しくやっていきたいな。
 講義中だけど、隣にいる素良くんと机の下でこっそり小指を繋ぎつつ、笑顔で意思疎通しながら思う本日でした。



---あとがき---            メニューに戻る