朝―――
獏良は、バクラよりも早く家を出ていってしまった。
どうやら彼女のお迎えに行ったようだ。
たまに彼女が家に来たとき、バクラも一緒に着いていくこともあった。
しかしバクラには、その2人から発せられる異様なまでのほんわかとした空気には付いていけなかった。
だから、そういう時は早めに家を出ることにしていた。
学校登校途中、後ろから声が聞こえた。
「バクラぁーー!!」
その声にピクリと反応し、歩く足を速めた。
しかし、その走ってくる足音はだんだん近くまで迫ってきて、そして、それはバクラの腕をガッシリと掴んだ。
「つかまえたぁ!バクラ、おはよぉー!!」
やっぱりマリクだった。バクラは一つ溜め息。
「あぁ…オッス…朝から元気だなぁ…お前のおかげで、オレ様は大人気だぜ…」
周りを見ると、やはり周囲の生徒達はバクラの方へと注目している。
「へぇ〜、バクラ。人気あるんだぁ〜、すごいね!…でも、ボクのおかげって…?」
「いや…何でもない」
これ以上言っても無駄と判断したバクラは、その質問をそのまま流した。
「…それよりよぉ、マリク。お前、今日はちょっと顔赤いんじゃねぇのか?」
マリクの顔色を見つつ、バクラはそう言ってマリクの額に手を当てようとした。
しかしマリクはそれをヒョイッと除けて、クルッと1回転する。
「そんな事無いよ!ボク嬉しいんだ、今日はバレンタインデーなんだよ。何だか、とっても楽しくなっちゃうネ!」
「何がだ」
即返答する、バクラ。
「だって、みんなが元気になれるんだよ。こう言う日ってイッパイあるといいのにね!!」
そう思ってるのは、お前だけだ!!!
バクラは、そう言いたい気持ちを押さえて、顔をマリクとは反対側に向けた。
「ねぇ、バクラは好きな人いるの?」
突然のマリクの質問にビックリして、再び顔をマリクへ向ける。
じっとバクラの様子を窺うように、首をかしげながら見つめているマリクがいた。
「……いるわけねぇだろ?オレ様はのんびりと今という時を過ごしたいんだ!そんなかったるい事思ってられねぇよ」
「ふぅ〜ん…そうなんだぁ……」
マリクは、あいまいな返事を返す。
「そういうお前はどうなんだよ?えぇ?」
マリクにそう問うと、にこやかな笑顔を作り、前に飛びだしてクルッとバクラに向かって回転する。
そして人差し指を立てて、ニッコリと微笑む。
「それはね…ヒ・ミ・ツ!じゃあね!!!」
それだけ言うと、マリクは校舎の方へとダッシュして行った。
…何だよ…ヒミツって…いるって言ってる様なもんじゃねーかよ……
バクラは心なしか何かに突き抜かれた様な感覚に襲われた。
だがそれも振り切り、教室へと足を進めた。
バクラが教室へ入るなり、たくさんの殺気を感じた。
ん…?なんだぁ???
困惑していると、物静かそうな1人の女の子がバクラの前へ近寄る。
「…あ…あの、これ受け取って下さい…」
バクラは手元に差し出されたそれを、思わず受け取ってしまった。
「あぁん?何だぁ…って、これってひょっとして…」
女の子はコクリと1回頷き、そのまま俯く。
それを合図に、周囲にいた女の子達が一斉にバクラの元へ攻め寄ってきた。
彼女達は『バクラ様〜』とか『受け取って〜』と様々な熱愛に近い言葉を唱えながらバクラに群がる。そんな周りから、一生懸命脱出しようともがいてるバクラがいた。
「兄さん、モテモテ!!」
獏良の声がする。
「オイ!笑ってないでオレ様を助けろ、獏良!」
「兄さんガンバッテ!」
帰ってきた言葉はそれだけだった。
…チッ…期待なんてしてないけどよぉ……
バクラは彼女らを振り切って、何とかそこから抜け出し廊下へ逃げる。
暫くがむしゃらに廊下を真っ直ぐ走って行った。
後ろの方からの声は、次第に小さくなっていく。
息が切れてきたので少し立ち止まり、後ろを振り向いる。
…誰もいねーな……
バクラは、ホッと一つ溜め息をして壁にもたれる。
「…付き合ってられねーよ……」
窓から見える空をじっと見つめる。
バクラが唯一心を許せる空は、この時何故か自分を自由な外へと誘ってるように見えた。
……帰ってしまおうか…
ゆっくりと足は靴箱の方へと向けられる。
その時だった。
「兄さん!待ってよ!!!」
弟の獏良はやはり心配になって追い掛けてきた様だ。
「お前…またか…今度は何の用だよ」
「兄さん、教室に帰ろ!授業、もうすぐ始まっちゃうよ」
「いや、オレは行きたくねぇ…あんな地獄のような所には…」
バクラは思わず受け取ってしまった1つのチョコを見つめる。
「大丈夫。女の子達、随分諦めてたから…だから早く!!」
そう言って獏良はバクラの腕を掴み、引きずるように連れていく。しかしバクラは抵抗して暴れまくる。
「嫌だ!オレは行きたくねーーー!!!」
「だから、大丈夫だってば。落ち着いてよ兄さん…ねvvv」
また獏良は、声色を反転させて、精いっぱいの微笑みを兄にぶつける。
「…うっ………」
バクラはやはり一言も言えず、そのまま引きずられていった。
…結局元の教室に戻ってきた。
女の子達はバクラに注目するが、今度は近付いて来る気配が無い。
どうやらターゲット対象から外されたようだ。
「ね?だから言ったでしょう」
「…あぁ」
バクラは安心したようでホッと胸をなで下ろす。
そんなバクラに獏良はそっと微笑む。
…良かった…兄さん。
そして授業が始まった。
しかし、バクラにとってもう一つ。
放課後という時があった。
…一体誰なんだぁ、オレ様を呼びつける奴はぁ…
後で誰だか獏良に問い詰めてやろうか……
その事が気になって、授業どころではなかった。
―――そして、放課後。
バクラは体育館へと向かう。
獏良は委員会の仕事があると、さっさと教室から出ていってしまった。
…こんな事だったら、昨日の夜にでも聞いておきゃあ良かった……
―――後悔先に立たず―――
そんな言葉が頭を過る。
少し嫌々ながらも、体育館へと足を進める。
体育館に着いたと同時に、そっと扉を開けた。
そこにいた人物……それは遊戯だった。
遊戯はバクラには気付いていないようで、退屈そうにちょこんと座り俯いている。
バクラは遊戯の方へと近づいていく。
……まさかな。
遊戯の前に立ったとき、初めて遊戯は顔を上げる。
「あれ?バクラくん」
「あのよ…オレ様を呼びだしたのは、お前じゃあ…ないよな?」
「…?何の事?ボクは城之内くん待ってるんだけど…」
「…そうか、違うか」
バクラは心なしかホッとした。
…まだ来てねーのか……
その時、城之内がバドミントンのラケットを持って現れた。
「おーい、遊戯!見つけてきたぞ、ラケット!これで勝負しようぜ……って」
しかし、バクラの顔を見た途端一瞬にして敵意剥き出しな表情をする。
「お前…遊戯に何の用だよ…」
「何の用って…貴様こそ何だってんだ?オレ様に向かってそんな口叩こうと思うんなら、後3000年待ちな!!」
「やめてよ、2人とも。城之内くん、バクラくんはボクに用事があって来たんじゃないよ」
「そうか?遊戯がそう言うんだったら間違えねーか♪」
…オイッ!……
バクラは、心底叫びたくなる。
そのかわり様は何なんだ!
遊戯に向けられた城之内の顔は、バクラに向けられた時のものとは全く正反対だった。
「バクラくん、誰か待ってるの?ココには、ボク達以外は誰も来てないよ?」
「…ん?お前、誰か待ってるのか?意外だなぁ…お前が誰かを待つなんて……そうかぁ、今日はあれだもんなあ」
途端に、にやつく城之内。
そのにやけは何なんだ!オレが待っちゃわるいか…エェ!?
そう、言いたいところだったが、何とかそれを押さえた。
「バクラくん、ココで待ったらどうかなぁ…ボク達どこか行くから」
「いや…お前らはココにいてもいいわ。オレ様は勝手にココにいる…」
「そ…そぉ?」
「しっかし、お前にもそんな事あるんだなぁ…」
つくづく城之内のバクラに対する言葉には、トゲがあった。そんな城之内を睨みつけつつ、バクラは隅の方に腰を下ろす。
そして、待つこと数十分。
城之内と遊戯の試合は10戦目突入していた頃だった。
遊戯は心配になったのか、ふとバクラの方に振り向く。
さすがに待ちくたびれたのか、床に座って腕組みをしながら寝入りそうになっていた。
「ねぇ…バクラくん、もし良かったらボク達からバクラくんが来たこと、伝えておいてあげようか?」
「…そうか?遊戯助かるぜ。それじゃあお言葉に甘えて、お願いするぜ」
そう言って、体育館を後にする。
しかし、なんとなくホッとした。
見ず知らずの奴が来たときが一番困ってしまうからだ。
バクラは教室へと入り、帰る支度をした。
―――やっぱり、ロクなことねーな。オレ様の貴重な時間を……
そして、バクラはいつも通り土間の方へと向かう。
今日も、陸上部は部活動をやっているはずだ。
マリクのやつ…また元気にやってるんだろうな…
不思議に、バクラの心に暖かい気持ちが過る。
それと同時に、マリクの姿を見たいという気持ちで急いで行こうと、足早にグラウンドへと向かった。
しかし――そこにはマリクの姿はなかった。
いつもだったら、あの陸上部員と共に何やらやっているのだが…
あいつ…どこに行きやがったんだ?
バクラに不安が過る。
その時、陸上部員の1人がバクラに気が付いて駆け寄る。
「あの…マリクくんのお友達ですよね?」
「う…あぁ」
「マリクくんは、今日は来てないですよ」
「はぁ?」
聞くところによると、どうやら今日は体調を崩したようで、今、保健室で寝ているそうだ。
…あいつ…朝、顔赤かったのは体調悪かったからか!…無理しやがって…
「しょうがねぇなぁ……見舞いに行ってやるか」
そして、保健室に行ってみることにした。
保健室の前に立つと、ノックして扉を開ける。
「…入るぜぇ」
しかし、ココには気配というモノが無かった。
誰かが寝ていた形跡はあるが…
――もう、帰ったんか?ま…きっと、そうだろうな…
そう思ったバクラは、学校を出るとにした。
…でも、その前に……
やはり気になるのか、もう1回体育館へと向かうことにした。
体育館ではやはり遊戯と城之内がいたが…
――何か、おかしい……
縁で、2人固まって何かを見ているようだった。
バクラからは見えなかったので近づいて見ることにした。
「おい…お前ら、そこで何やってんだ?」
「あっ、バクラくん。あのね、マリクくんが突然現れたんだけど、急に倒れちゃったんだ」
「そう。だから、2人で保健室へ連れて行こうと思ったんだけどよぉ…」
「ハァ…?どれ、見せてみろ」
バクラはマリクの前に膝を突いて座り込み、おでこに手を当ててみる。
「……こいつ、こんなになるまで…しゃあねぇなぁ」
バクラはマリクを背中に負ぶせ、そして遊戯と城之内の方に振り返る。
「じゃ…オレ様が連れていってやるから安心しな。お2人さん…ありがとな」
それだけ言って、バクラは立ち去った。
バクラの礼の言葉と笑顔……
それは遊戯と城之内にとって、見たこともないほど優しい表情だった。
暫く、その場に立ち尽くす2人。
「遊戯…」
「何?城之内くん」
「オレはバクラの事、色々誤解してたみたいだ…」
「うぅん、城之内くんだけじゃないよ。ボクもそう思ったから…」
「オレも見習わなきゃいけねぇな…」
「えっ、何が??」
「…何でもねぇ、さぁ、もう一度試合始めようぜ」
「うん、ボク負けないよ」
2人は、再びバドミントンを始めた。
その頃、バクラは保健室へと着いていた。
マリクをベットに寝かせ、取り合えずイスを取り寄せ、マリクの傍らに座る。
「…たく、無理してまで学校に来るんじゃねーよ…」
バクラは、じっとマリクの顔を見つめて、気が付くのを待った。
――それに…
マリクの手には、小さな紙袋。
体育館からずっと離さずに持っている。
――こいつも、誰かを待ってたんか? ……だとすると、これはもらい物だろうな…
相手の女は何やってんだぁ!!?マリクが、こんなに辛そうにしてるんだぞ!?
バクラは、フツフツと怒りが沸いてくる。
溜まらないほどの苛立ち。
手に力が入る。
「……バクラ…イタイよ…」
その時、マリクから声が発せられた。
バクラは、知らず知らずのうちに、マリクの手を握り締めていたようだ。
「あ…すまねぇ。大丈夫か、マリク?」
「うん、大丈夫。…ボクは平気だよ」
マリクは弱々しく微笑む。
しかし、バクラはキッと睨む。
「大丈夫じゃねぇよ!こんなになるまで何してたんだ!! ったく…もう少し、安静にしてろって…オレ様がココにいてやるから」
「うん…ありがとう、バクラ…。その前に、ゴメン。ボク約束よりも遅れちゃったね…」
「……?何の事を言ってるんだ?マリク」
マリクは起き上がり、ガサガサと今まで手に持っていた紙袋を、バクラの前に両手で差し出す。
「ハイ、これバクラにあげる。…受け取ってくれる?」
「これって…お前、女の子からのもらい物じゃねーのかよ」
バクラは少し困惑気味に、その袋を指差し尋ねる。
マリクはそんなバクラに対し、ブンブンと首を振って否定する。
その反動で目が眩み、マリクは座ったままバクラに倒れ込んでしまった。
しかし、バクラはそれを支える。
マリクはバクラの腕にしがみついて、涙目になりながら見上げる。
「違うよぉ。これはぁ、ボクがバクラにあげようと思って持ってきたもの。バレンタインのチョコだよ!!」
「へ…」
―――少しの間―――
「なにぃ!! マリク、お前病気でどうかなったんじゃねえのか?」
驚いてマリクの手を腕から振り切り、その場で立ち上がる。
「ボクはどうにもなってないよ。何か変?」
「いや…変って言うか…これ、本当にオレ様にか?」
「うん、そうだよ。バクラ以外いる訳無いじゃないか」
バクラは、喜んで良いのか判らず、その場でのたうち回る。
そんな彼を見て、マリクは両手で口元を押さえてクスクス笑う。
「バクラ、おもしろーい!」
「オレ様は、面白くない。本気かマリク?これって…その…」
言葉を続けることが出来なくって、顔面を片手で押さえる。
それをマリクが続ける。
「うん、そうだよ。ボク、バクラの事が大好きv」
あっさりと言うマリク。バクラはどう反応したら良いのか判らず、ただ呆然とする。
「…ダメなの?バクラぁ…」
突然悲しそうな顔をして、俯くマリク。
「…いや、そんな事はないぞ……」
「…エッ……」
マリクは思ってもみなかった言葉に驚き、顔をバクラに向ける。
ずっと、否定しっぱなしだったバクラから発せられた一言…
そして、バクラの真剣な顔つき。
保健室には再び静けさが支配しだす。
マリクはバクラにそっと抱きつく。
「良かった…バクラ……」
「マリク…」
その時何やら後ろ方で足音が聞こえたようだが、それを気にしている所ではなかった。
バクラはそっとマリクの頭を優しく撫でる。
それに反応して顔をあげると、バクラの手はマリクの頬へと添えられた。
熱で火照った、マリクの顔。
「いいか?マリク…これだけは、オレ様との約束だ。無理だけはするな…今日みたいにな」
マリクはニコリと微笑み、言葉を返す。
「…うん、判ったよ。バクラとの約束は必ず守るね」
「そうか…」
バクラは、普段見せない様な笑顔をマリクに見せる。
もちろん、弟の獏良にも…
バクラは、そのままマリクの顔に自分の顔を近付け……
―――そして、マリクの唇に優しく口付けた。
マリクはバクラのその行動に一瞬驚いたが、そのまま目を閉じて身を任せた。
お互いの熱を感じながら、確かめあいながら……
そして、バクラはそっと唇を離す。
「バ…バクラぁ…」
目から涙をこぼしながら、訴えるような瞳でバクラの瞳をじっと見つめる。
「マリク…オレ様は、今判った気がするんだ…お前の事、気になっていた訳…」
「あ…バクラ!」
ギュッとバクラに抱きつくマリク。バクラもそれを優しく受け止め、お互いの心臓の音を重ね合わせる。
「…でも、まずは病気を治さなきゃな」
そう言ってバクラは、マリクの体からゆっくり離れた。
マリクは、満面の笑顔で頷く。
「うん。ボク、すぐにでも治すよ。バクラの為に」
「そして、マリク、自分の為にもな?自分がなくなっちゃ、何ともならねーゾ?」
「あーーー!それヤダ!! それってバクラと一緒にいられなくなっちゃうって事じゃない!」
「そうだな、それはオレ様もゴメンだ…」
そう言って、優しくマリクを見つめる。
「バクラ…」
そして、2人はお互いを見つめつつ笑いあった。
「さて、お前も笑えるほど元気になったみてーだし、帰るとするか?」
「うん、そうだね。帰ろ!」
「でも、大丈夫か?立てるか?」
「うん、大分良くなったよ。ありがとう、バクラ」
そして、バクラとマリクは帰り道を共にする。
バクラはいつの間にか、この今という時に幸せを感じながら、歩いていた。
…まぁ…悪かねェーな…
それは、あるバレンタインの1日の事であった。
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