---日常でいて日常で無いかも知れない---

今日の俺は焦っている。
というのは、昨晩家に連れてきてしまった素良くんの事だ。
彼の衣服――夜中に洗濯機に入れっぱなしで朝を迎えて、その事を忘れたまま出社してしまった。
きっとシワくちゃになっているだろうな……
彼自身もどうしているのかとても気になるので、今日の所は出来る限り早く帰りたい。
だけど仕事はちゃんとこなさなければならない。
急ぎまとめた資料を上司に持っていく。
一通り目を通してもらって、早く上がろう。
「やり直し」
しかし上司からはその一言だった。
誤字が初っ端から3つほどあって、見る気も起きないと付き返されてしまった。

 何やってんだ、俺は。

結局終わったのは夜の7時。それでもいつもより断然早い時間の帰宅だ。
残ってる人を横目に挨拶をしつつ、会社を出た。
家に着くのは8時くらい……
ひょっとしたらちゃんと自分で干して、もう帰ってしまっているだろうけど。
いつも寄るコンビニも立ち寄らず、そのまま自宅まで足早に歩を進めた。
もうすぐ家だ……そう思った矢先、居住中のマンションの前に蹲った人物がちらりと見えた。
もしや…と思い、玄関前まで駆けていった。
たどり着いてみると、その人物はやはり素良くんだった。マンションの前で体操座りで膝を抱え込んで眠っていた。
洋服は自分でなんとか用意出来ていた様で、ちゃんと着用していた。
それより……
「素良くん、起きて!」
「……ん。…あ、おにぃさんお帰りなさい」
「あ、あぁ。ただいま……じゃない!」
にんまりと微笑みをくれる彼。一瞬その表情に和んでしまったが、ふと周囲が気になり見渡す。
車がスーッと目の前の通りを通る。
そこそこ人や車の通りがあり、非常に目立つ。同じマンション内の人達に不審がられているかも知れない。
「ダメじゃないか! ちゃんとお家に帰らなきゃ」
「大丈夫だよ、ちゃんと友達にも話したし、塾にも行ってきたから」
「塾って……」
ちゃんと生活があると解って、すこしホッとした。
「しょうがない、入って」
「うん、ありがとう」
エントランスから招き入れ、家の前にたどり着くと鍵を開けて、素良くんを家に入れる。
「お邪魔しまーす」
俺も家に入ろうとした。
「あの〜……」
「はい?」
その声に振り返ると、お隣の年配女性から声を掛けられた。
「その男の子、ずっと入口にいてはったんだけど、あんたの子ですかね?」
……まずい何かを疑われている。
「あ、あの…。俺の親戚の子なんですよ。すみません、ご心配掛けてしまって」
「いえいえ…あ、ちょっと待って」
その女性は家に戻ったかと思うと、すぐに戻ってきた。
「これ、あの子にあげてちょうだいね。頑張って待ってたみたいだから」
そういって大き目のスーパーの袋にお菓子をたくさん詰めたものを少々強引に差し出され、受け取る。。
「こんなにお菓子を……さらにお気遣いを…」
「お菓子!?」
突然横から素良くんが、扉を開けて飛び出してきた。
「わぁ、ありがとう!」
「元気ないい子だねぇ。夕食もしっかり食べて寝るんだよ。おやすみ」
「はーい、おやすみなさーい!」
素良くんはその女性に手を振って挨拶する。
俺も軽く会釈し、そして家の中に入る。
家の中に入ったとたん、俺は軽く脱力を感じガクリと項垂れた。
絵文字にするなら OTL って所だ。
「おにぃさん、どうしたの?」
「い…いや、なんでも」
素良くんは膝を折って、俺を覗き込む。
「フフフ〜♪」
「何?」
「やっぱりおにぃさん、やさしーなぁ。ボクの事、しっかりフォローしてくれたでしょ?」
「この場合はこう言わなきゃ大変な事になるだろ? 俺が」
「大変って?」
「……なんでもない」
人生終わりになんてなってたまるものかと、出た言葉だった。
きっとそんなこと、素良くんにとっては知る由もないんだろうな。
ここは大人としてピシッと言ったほうが良いだろうか。
そうしよう。
「素良くん少しお話いいかな?」
「なぁに?」
俺は部屋に誘導し、ゆっくり話せるようにテーブルの横に座らせ、オレも腰を下ろすと諭す様に伝える。
「何度も繰り返すようだけど、素良くんはお家に帰った方が良い」
「だから大丈夫だっ…」

「大丈夫じゃない!」

大きめの声を上げて、言い放つ。彼はピクリと動きを止めると笑みを消し、真剣な表情を俺に見せる。
「ボク……邪魔だったかな?」
「邪魔とかじゃなくて、君はまだ子供だ。まだ親から保護を受けていなきゃいけない年なんだよ。お父さんかお母さんは」
そう言うと、素良くんは俯く。
「いない……」
「……エ…」
待て待て、それはどう言う事だ? 今までどうやって生きてきたんだ彼は。
「……冗談だろ?」
彼は首を横に振り、俺に話す。
「と言うより、ここには住んでいないんだ…」
「はぁ……外国住まいなの?」
はっきり言って飲み込めない。生返事の俺を横目に、口を開く。
「……あのね? まだ誰にも話してない事、話して良い?」
「何?」
言いづらそうに俯きつつ口籠る。
「……信じてもらえないだろうけど、実はボク、この次元の人間じゃないんだ」
「ジゲン?」
「そう、この世界にはいくつかの次元があって、ここもその1つ。ボクは違う次元から転送装置でココに来たってワケ」
「あぁ、そうなんだー……」
はっきりいって、ワケがわかりません。
彼は一体何を話しているのだろうかと、困惑しかなく…
それに転送ってそんなことあるのか? そんな事出来るなんて、本当に人間なのか?
魔法使いか超能力者、それとも宇宙人…?
ということは……
「じゃあ、戸籍はこの世界には無いって事でいいのかな?」
放心状態でそう言う俺に、クスリッと笑い掛ける。
「そう言うことだね」
「でも、何でここに来ているの?」
「それは……」
そう言って俺の顔を見つめる。
こ…これは、まさか。
「お、俺を人体実験するつもりじゃ!」
「はぁ?」
座り込んだままバタバタと後ろに後ずさりしながら言う俺に対して、大きくため息をする。
「なんか大きく勘違いされてるみたいだけどぉ」
素良くんは歩み寄ると、俺の脚の間で膝立ちをする。
「ボク、ちゃんと人間だよ。ホラ」
俺の手を取り、そのまま彼の頬にぴとっと掌をつける。
「………」
俺は少し警戒しつつ、無言のまま両手で彼の顔を撫で上げて確かめる。

……さすり、さすり…

……さすり、さすり…

「……もう、いいでしょ? おにぃさん…」
「あ、ごめん。素良くん」
擽ったかったのか、頬を赤らめて呟く。
「でも……」
彼は立ち上がり俺に顔を向けつつ、
「おにぃさんに迷惑掛けちゃってたよね。ボク、出て行くから。ごめんなさい…」
そう話すと、彼は背を向けて出入口の扉に向かう。
「ちょっと待った!」
「…なに?」
とっさに彼の手首を掴む。
「行く当てはあるのか!?」
「ん〜、これから考えるよ。ま、何とかなるでしょ」
明るく振舞う彼。笑ってるけど、きっと頑張って作っている顔だろう。
「いていいから」
「…エ」
「ここに、いていいから」
強い眼差しを送ると、素良くんは目をぱちくりさせて俺を見る。
「本当にイイの?」
「良い」
「ボク、ずっと住んじゃうよ?」
「良いから」
「お菓子、毎日頂戴ね」
「良い…て、ちょっと」
「やった!」
えへへと悪戯っぽく笑いながら、彼は俺にそっと抱き付いてきた。
「…ありがと、おにぃさん」
囁く様に告げる素良くん。
「え…あ、うん」
突然呼ばれた名前に、少々戸惑ってしまった。
目の前に見える頭の天辺をそっと撫で下ろす。
するとその手の動きに反応した素良くんが、紅潮させたまま上目遣いではにかんだ笑顔を見せる。
中性的で幼さが見えるその顔立ちが、可愛らしくもあった。
「じゃあ、今日はもう遅いし外食でもする?」
「うん!」
「よっしゃ。じゃ、行こっか。近所のファミレス、いろんな種類のお子様ランチあるんだぞ」
「ぶー、ボクはもうそんなの食べないよ」
ぷぃっと、そっぽを向く素良くん。
「ごめん、ごめん。ははは」
「いいよー、お腹いーっぱい食べるから」
「……控えめにね」
笑みを零しつつ心弾ませる素良くんと俺は夜道を歩き、ファミレスに向かった。



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