+++今という時間+++

2月13日。バレンタインの前日。
時間は昼休み、ちょうど弁当も食べ終わり、一服していた頃であった。
ここ、童実野高校でも女の子の内では、一定の男の子に向かってターゲットを絞られていた。
その中でも上位を占めているのは同じクラスの獏良&バクラ、双子の兄弟であった。しかし、おっとり型の弟獏良の方はすでに彼女がいると言うことで、狙いはワイルド系であるバクラに集中されていた。
バクラに突き刺さる女の子達の視線は、まさにネズミ追うが如し…。
「…ッチ…面白くねえ……」
バクラは視線を感じて、その先にいる女の子達を睨みつけ、教室を出ていく。
しかし、それが女の子達の気を高めてしまったうようで、悲鳴にも近い叫び声を背に溜め息を一つ残し廊下を歩いていく。
それを見ていた弟獏良。
バクラのその態度は、いつも見ていられないものだった。
「兄さん…」
獏良は気になって席を立ち上がり、教室を出ていく。
昼休みの今、バクラが何かあった時にいつも行くところと言えば、広い空の下であるグランドか、校舎の屋上であった。
この短い放課の時間行く所は、大抵屋上と決まってるが……
何故だか分からないが、その場所にいるバクラは非常に安心しきった穏やかな表情になっているのだ。
決まっていつもどこか一点を見つめている。


……兄さん…いつも何を見てるのかなぁ…


獏良は屋上の階段を上り、外へ出られる扉を開けた。
風が襲ってくるように、勢い良く獏良に吹きつける。一瞬倒れそうになるが、何とか状態を前へ反らして、それを防いだ。
そして、目の前に開けた世界…燦々と照り返されている日の光から、眩みそうになる目を腕で防いだ。
ココは、広く透き通った空間……誰もが悩んだ時や、一人でいたい時に来たくなるのが良く分かる。
でも…


兄さん…いないなぁ…


そう思った矢先、上の方から言葉が降ってきた。
「………お前…やっぱり来たか…」
獏良は今くぐった扉の上から聞こえる声に反応し、そちらに慌てて振り向いた。
「兄さん!!」
「…ったく、お前はいつもオレを追ってくるんだな…」
バクラはつまらなそうに獏良に言う。
「そうだよ、ボク見ていられないんだ…いつもあんなふうに振る舞って、同じ男子生徒からも孤立していく兄さんなんてさ!!」
「うっせえなぁ…あぁん?オレ様が、何処でどうしようと勝手だろうが」
「そんな…兄さん!!!」
獏良は吐き捨てるように言うバクラに対し、必死で力強く見つめ続ける。
バクラはそこまで心配してくれる獏良に、苛立ちを感じていた。
―――オレとお前は兄弟だ…
それだけなんだ…それ以上、それ以下でも何でもない…
兄弟という言葉さえ無くなってしまえば、ただの他人だろうが…


…ったく、うっとおしいなぁ…


ボソッと呟き、バクラは獏良をキッと睨み付けつつ、下へ降りてきた。
「お前、分かってんのか?…それ以上オレ様に口出ししようとしてみろ…」
そう言って、獏良に詰め寄る。そして獏良の顔まで自分の顔を近付け、睨み付ける。
獏良は慌てたが、そんな兄の対処法はすでに分かっていた。
「兄さんv そんなことしちゃだめだよ?」
突然声色を反転させて、逆にバクラに迫る。
「!!!」
バクラは驚いて、2・3歩後ずさる。
よほどビックリした様で、胸に手を当ててドキドキを押さえようとする。
「バ…バカ!お前は…何ていう声、出しやがんだ!…たく…」
そんなバクラに獏良は、クスクスと笑う。
「兄さんって、案外小心…」
「う…ウルサイ!!! …我が弟ながら何て性格してんだぁ?」
「それは兄さんも、でしょ?」
獏良は、ニコッと微笑む。
すると今まで気がつかなかったが、バクラの後ろの方でボソボソと声がする。
「あっ…やぁ!」
獏良はニコリと笑ってそちらの方に向かって手を振る。
バクラは嫌な感じを思わせながら後ろを振り向いた。
するとそこには数人の女の子達。
どうやら、ここにちょうど来た女の子達への見せ物になっていたようだ。
「う…うわぁぁぁ…お前ら、あっち行けって!」
そう言って、仰ぐように手のひらを前後に降る。
「…まぁいい…この続きは家に帰ってからだ!…早く帰れよ。お前の彼女…心配してるぞ?」
獏良は一瞬にして顔を赤くする。
「に、兄さん!!」
「ハハ…じゃあな!」
バクラは走って教室に戻っていってしまった。
「もう…兄さんってば…」
獏良はボソッと呟き、その場を立ち去った。
そして、昼休みも予鈴と共に終わりに近付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そして終わってしまった、1日の授業。
「ばーくらくん!」
「あっ、帰ろっか?」
「うん」
獏良は彼女と一緒に下校した。
そして、買い出しに行かなくてはいけないと口実を述べて、いつもより早く別れて帰路に着いた。
でも、本当の目的はそれだけじゃない。
明日のためのプレゼント――彼女と付き合ってから一年のためのモノ――を買うためだった。
そのために家に帰らず、そのまま百貨店の方へ急いだ。


…買うものは、もう決めてあるんだ。


獏良は急いで化粧品売り場を探す。
「あ…あった!」
獏良は、目的の売り場へと向かう。


…えっと…どれだっけ…? ピンク色の口紅だったけど、種類多すぎて……困ったなぁ…


獏良はしばらくその場で、呆然と立ち尽くした。
その時、後ろから女の子の黄色い声が聞こえてきた。
でも今は、そんな事気にしてはいられない。
「あれ?君、獏良君だよね?どうしたんだい、こんな所で…」
女の子の声の間から聞こえてきた、一人の男の声。それは、御伽のモノだった。
「あっ、御伽くん。うぅん、何でもないよ」
その言葉に御伽はピクリと反応して、獏良をヒジで突く。
「あ〜〜、分かったぞ!さては、彼女への贈り物だな?」
獏良は顔を強ばらせる。そしてそのまま固まってしまった。
「………照れるなって…でも獏良って、案外大胆なんだな、口紅あげるんだろ?」
「えっ、そうだけど…何で?大胆って…」
獏良はきょとんとした表情で、御伽にいう。
そんな獏良に対して、御伽は目が点になる。
「き…君…知らないで買おうとしたのか?」
「うん、とっても欲しそうにしてたから…だから、これに決めたんだけど…」
御伽は、ため息一つをして獏良に言い放つ。
「いいかい?口紅をプレゼントされるって事は、女の子にとっては、とっても大切なことなんだ」
そう言って、御伽は人差し指を自分の唇に当てる。
そして、その人差し指は次の瞬間に、獏良の唇の上に移動させられていた。
「…な!」
獏良が気が付いたときはすでに遅かった。
暫く呆然とする獏良。


意味は分かったけど…


御伽の後ろで女の子達の騒ぐ声が聞こえたが、それを気にしている場合ではない。


ボ…ボクのファーストキスが…


その衝撃とともに、獏良はその場で力が抜け、ヘタッと座り込んでしまった。
「オ…オイッ!大丈夫かよ。そんなんじゃあ、彼女が可愛そうだぜ?」
御伽は獏良に手を貸し何とか立たせる。
しかし、獏良の目は虚ろなままだ。
「…ボクのファーストキス……」
獏良はボソッと呟く。
「別に直接って訳じゃないから、いいだろ?お前、根に持つタイプだったのか…」
「……ボクのファーストキス………」
獏良の目は、未だ座ったまま。
「わ…悪かったって…な?」
「…ボクの………」
獏良の意識は、完全にあちらの世界へと旅立ってしまっている。
「おーい。ばくら〜?」
御伽は、獏良の目の前で手を振ってみせる。
その瞬間、獏良はハッと顔を上げる。瞳に光が戻った。
「あ…あれ?ボク…」
「本当に大丈夫かよ…悪かったな…お前がそこまでこだわるとは思わなかったからさぁ…」
すまなそうに答える御伽の顔を、獏良は困惑の表情でじっと見つめる。


…えっと、ボクは……そうだ、思い出した……


獏良はガクッと肩を落とす。
「そ…それより、彼女へのプレゼント、買いに来たんじゃ無いのかい?」
「…そうだった。えっと…」
獏良は、元の口紅売り場へと視線を移す。だが、どの口紅が良いのか検討もつかない。
再び悩みだす獏良。そんな獏良の姿を見て、御伽は再度声をかけた。
「どうしたんだい?…あぁ、ひょっとしてどれがどれだか分からないって所だろ?」
獏良はコクリと頷く。
「ダメだなぁ、ちゃんと番号は控えておかなきゃ…で、どんなものだった?」
「えっと…ピンク色だったのは覚えているけど…それに余りハデじゃないもの」
「じゃあ、これだな」
御伽は一瞬でそれを察知してピッと1本だけを選んだ。
「あっ、それそれ。確か、それだった。すごいね御伽くん何で分かったの?」
「ま、女の子のことは、ちゃんと知っておかなきゃな。…おっと、彼女達を待たせちゃ悪いから、オレもう帰るわ」
「うん、ありがとう…」
「じゃあな」
御伽は再び女の子達を引き連れて、帰っていった。


……ハァ…とんでも無いこと…されたような………


獏良は、溜め息を一つしてその口紅を手にカウンターへと向かった。