その頃、兄のバクラの方は、授業が終わりグラウンドへと向かっていた。
別に何が気になるという訳では無い。ただ、ここにいたいだけだった。
バクラは土間の隅に座り込み、部活動に勤しむ生徒達を眺めた。
…何であんなツレー事やるんだぁ?
わっかんねぇなぁ…
その時、陸上部の方でハードルが行われていた。
ピッという合図とともに、走り抜ける数人の生徒達。
その中でバクラは見知った顔を見つける。
色黒でプラチナ髪の少年…マリクであった。
「おっ、やってるなぁ…あいつ」
いくつかのハードルを飛び越えて、あっという間にゴール。
…何で、あんなことやるんだ?疲れるだけじゃないのか?
バクラはだるそうな顔つきで、マリクを見つめる。
その時マリクがこちらに気づいたようだ。
背伸びをして、バクラに向かって大きく手を振る。バクラは、反射的に手を振り返した。
「バクラぁぁーーーーーーー!!」
マリクの声は、数十メートル離れているバクラの元へも大きく、そしてよく響いた。
それと同時に、その場にいた数十人の生徒がバクラ方へ一斉に注目。
わっ!!!…バ…バカ!!
バクラは慌ててマリクから目をそらし、その場を去る。
「バ…バクラぁ〜〜〜…」
マリクの悲しそうな声がバクラの耳に届く。
…構ってられるかっ!恥ずかしい……
叫びたいがそれは出来ず、心の中で悶えた。
そのまま、バクラは校門の外へと出ていってしまった。
しばらく歩いた後にふと足が止まる。
それは、帰宅する直前に弟、獏良に聞かされた事…
「明日の放課後、体育館で兄さんを待ってる人がいるよ」
…と。
一体、何時何処で聞いて来たのやらバクラには判らなかったが、弟の不思議さは兄であるバクラにも検討も付かないので余りその事については触れなかった。
明日はバレンタイン。あの物言いだと、きっとそれ事だろうとバクラは確信した。
しかし、バクラには、関係のないことだった。
明日という1日は、バクラにとって今日とまた同じ1日としか思えなかった。
「いいことなんて、無いほうが幸せじゃねーか…」
それは、バクラの口癖だった。いいことは悪いことを運んでくるものだった。
だから、幸せになれば不幸にしかならない。
そう思っているのだ。
でも、最近はどこかおかしい…そう思ってたバクラは、あの広い空の下で心を預ける様になったのだ。
バクラは、そのまま直帰した。
家には誰もいない。
弟の獏良と2人で住んでいるが、まだ帰っていない様だった。
…あいつ、まだ帰ってないか……
きっと、彼女とイチャついてるんだろうなぁ…
そう思ったバクラは、部屋を我が物とし、伸びをして寝転がる。
そしておもむろに、テレビをつける。リモコンで操作し、色々なチャンネルに変えてみる。
しかし、バクラの目に留まるようなチャンネルはなく、そのまま電源を切った。
……つまんねぇ…
バクラは、リモコンを投げ出してそのまま寝返りを打ち、反対側を向く。
そのまま目をつぶって時が過ぎるのを待った。
そして、1時間が過ぎ、2時間が過ぎた頃、獏良が帰ってきた。
『ただいまー』という声が家中に響き渡る。
バクラには、それは微かに聞こえた程度で、何も気にする様なことでもなかった。
しかし、獏良はそれを許さなかった。
「あー!兄さん。また寝転がってぇ〜…まだ夕御飯食べる前でしょう?ボク、何か作るから兄さんも手伝って!」
「しょうがねぇなぁ…」
文句を言いながらバクラは体を起こし、買ってきた食材を広げ、料理の支度を始める。
獏良は調理、バクラはそのための材料作りを受け持つという役割が、いつの間にかつけられていた。
バクラは、包丁で野菜を刻みながら、ふと獏良の横顔を見てみる。
何やら幸せそうな顔だ。
良いことでもあったのだろうか?
そんな獏良にバクラは苛立ちを押さえきれず尋ねる。
「……お前、今日妙に帰るの遅かったな…何かあったのか?」
「いいじゃない。兄さんには関係ないよ♪」
「それは、そうだが…」
その嬉しそうな獏良の声は、バクラに益々苛立たせの心を増加させた。
たまらず、質問を続ける。
「…彼女のことか?」
その途端、動かしていた手が止まり、獏良はバクラの方を向き、一瞬にして顔を真っ赤にさせた。
…図星か……
「お前…それだけで本当に幸せなのか?もし、不幸になったら、今この時間を後悔することになるぞ?」
「…兄さん、ボク、そうは思わないよ。幸せは今だからつかんでおかなきゃいけないからね。後で後悔するなんて考えたことないよ」
「…そうか…」
しばらく、静まり返る台所。
鍋にかけたコンロの火の音が大きく聞こえる。
「…そうだな…もしオレが、お前の彼女を無理矢理奪ったらどうする?」
「!!!」
獏良は、バクラに振り向く。
いたずらに、にやけ顔の兄。
「兄さん!それは許さない!! ボクは…ボクはそんな事をする兄さんを軽蔑する!!」
獏良はバクラに掴みより、互いの顔がくっつきそうになるくらい詰め寄る。獏良の真剣な表情。
「ヒャハッ!お前がそんな顔をするとはなぁ…エェ?」
そう言うと、バクラは自ら顔を更に近付ける。
獏良は驚き、少し後ずさったが負けじとその状態を保つ。
しかし、その時バクラの手が動く。
そして、それは獏良の頭上に行く。
獏良は反射的に目をつぶった。
…ポフッ……
その手は、獏良の頭上に押し当てられた。
そして、その手を頭上で滑らせる。それを何回も何回も繰り返す。
獏良は何が起こったのか、しばし理解できず、目を開けてみた。
「…お前、かわいいなぁ…」
「…え?に、兄さん!!」
獏良は、顔を真っ赤にさせてバクラを見上げる。
「お前を彼女にやるなんて、もったいないよ。うん」
頷きながら、頭を撫で繰り回す。
「もう…兄さん!ボク、男の子なんだからそんな事しないでよ!!」
「ヒャハハ!! 解ったよ。それがカワイイ弟の望みだったらやめてやるよ」
バクラはいたずらっぽく笑い、獏良の頭から手を降ろす。
「それよりよぉ…」
「なに?兄さん」
獏良は、キョトンとした顔つきでバクラを見上げる。
バクラは一つ溜め息をして、人差し指であるものを指差す。
「お前…放っておいていいのか?あの鍋…」
「……わぁぁぁぁ!!! ダメに決まってるじゃないか!あーぁ…こんな風になちゃって…兄さんのせいだからね」
「……何故、オレのせいになる…?」
そんな事があったにも関わらず、獏良の仕上げは見事なものだった。
「どぉ?ボクなりにアレンジしてみたんだけど…」
「…うまい…。やっぱりお前を誰かにやるなんて出来ねーわ…」
「もう、そればっかり、兄さんは…」
獏良達は食事を終えて、それぞれ食器を片付け、自室へと足を進めた。
―――明日は、バレンタインか……体育館、行ってみるだけ行ってみるか…
しかし、バクラはすでに断ることしか頭にはなく、付き合おうなんて気はなかった。
その時、獏良の自室の方から声が聞こえる。
「兄さーん!お風呂、先に入るねー!」
「あぁ!」
バクラは一言だけ返して、ベッドに寝転がる。
そして静かな時をひたすら待つ。
でも、その時間は余りにも長く、バクラは目をつむり再び眠りに入ってしまった。
「…さん…兄さん…!」
獏良がバクラの身体を揺する。目をこすりながら、起きるバクラ。
「…ん…もう出たのか?」
「さっきからボク呼んでるのに返事無いと思ったら、また寝てるんだもん」
「あぁ…余りにも暇だったからな…」
バクラの部屋に広がるシャンプーの香り。
それが寝ぼけ気味のバクラの気分をそぐった。
バクラは手を獏良の後頭部に回し、頭に鼻を押し付ける。
「いい香りv」
「…また兄さん……そんなこと……いいから、お風呂入ってきなよ!」
「…ッチ…解ったよ。行ってくる」
そう言って獏良の頭に手をポンッと置き、風呂場へと向かった。
――そうして、その日の一日は終わった。
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